科学と人間の関係を考えてみたい。
コンピューター社会になって、いつの間にか、機械と人間の関係が逆転してしまった。
最近は、人工知能(AI)を搭載したロボットの活躍分野が拡大して、人間から仕事を奪ってしまうことも多い。
このような、近年の状況は、イギリス人のアラン・チューリングを抜きにして考えることができない。
時代を超えて、天才と呼ばれる人が多いけれど、この人ほど「才能と悲劇」が重なった人は少ない。
暗号の解読と天才の悲劇
ヒトラーの軍事力を支えていたのは、ドイツの「科学力」だった。
ロケットの開発も、原子爆弾もドイツ軍が始めたものだし、戦略上の「暗号」は、いつ、どこを、どのように攻撃するかということで重要な意義を持っていた。
この中で、ドイツ軍の「エニグマ」は、秀逸な暗号システムだった。
連合国軍は、何とかして解読しようとして人材を集めたが駄目だった。
ところが、イギリスの数学者アラン・チューリングが、ひそかに解読に成功した。
しかし、解読したとわかれば、ドイツは次の手を打ってくる。
だから、「解読したこと」は絶対に秘密とされた。
最高機密事項である。
チャーチル首相は、ヒトラーの空軍やUボート(潜水艦)の位置を正確に捉えていたから、ドイツ軍のイギリス本土上陸をギリギリのところで阻止することができた。
もし、チューリングが発明した暗号解読器がなかったら、ドイツが勝っていたかもしれないという人がいる。
これが「コンピューター」へと続き、「人工頭脳」の発想につながっていくのだが、科学と人間の関係を考えると、チューリングが残した後世への影響は計り知れない。
しかし、彼の存在は「絶対秘密の世界」におかれたので、彼は変人・奇人変質者として社会の向こうに葬られてしまった。
彼の実績が公表されたのは、死後20年以上経ってからだった。
天才の悲劇の典型的なものである。
彼のことは、最近映画になったので馴染みの人がいるかもしれない。
※アラン・チューリングを題材にした映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』は、2015年3月に公開されています。
暗号=科学よりも「精神論」の日本
第2次大戦中の、日本の暗号は、どのように使われていただろうか。
アメリカでは、パープル暗号・オレンジ暗号などというコードネームで、早い段階から「日本の暗号の解読」が進んでいたらしい。
だから、日本軍の戦法は、アメリカ軍によって、ほぼ読まれていたといわれる。
ミッドウエー海戦の敗北は、アメリカ軍の暗号解読の結果といわれる。
日本軍は、「科学」を尊重しなかった。
科学より「神風」とか、「根性」とか精神論を優先させていたのだ。
暗号の解読は、古代ギリシャ時代から進んでいたというのに・・・。
無知は罪悪である。
科学を尊重しないで繁栄した国家はない。
天才でなくとも、私たちは、何事も「精神論に埋没」してはいけない。
学習指導は、「がんばれ!」だけではいけない。
科学的でロジカルであるべきだ。
これを徹底しないと受験という戦争に敗北するからである。
鉄腕アトムが誕生する日
科学である「暗号の解読」が国家存続の勝敗を決定づけた時から、半世紀が経過した。
今や世界中の国家が、多様で広範の暗号を駆使して、国家と国家の力関係を左右している。
時々耳にするサイバー攻撃からは、国家が有する科学技術力が「国家の命運」を決めることがよくわかる。
科学技術の発達は、私たちの生活の仕方・生き方に直接影響を及ぼす時代になった。
私は「感性を持つのが人間」であると定義したいが、どうもこれは「甘すぎる」気がする。
「鉄腕アトム」の誕生は、2003年だったと思うが、それをすでに過ぎてしまった。
今後、感情を有するロボットが誕生しないとはかぎらない。
こうなると「人間とは何か」が問題になる。
私たちは、人間とは何かという根本的な問題を突きつけられている。
が、これを意識している人は少ない。
これが教育活動のすべての原点であるのだが・・・。
鉄腕アトムの誕生日は2003年4月7日とされている。
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