「思考」が「運命」を決める
思考に気をつけなさい。それは、いつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい。それは、いつか行動になるから
行動に気をつけなさい。それは、いつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい。それは、いつか性格になるから
性格に気をつけなさい。それは、いつか運命になるから
Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words;
Be careful of your words, for your words become your deeds;
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits;
Be careful of your habits; for your habits become your character;
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.
これは、マザーテレサの言葉だといわれています。
これは、大変厳しくも「真理」だと、私は共感しています。
「習慣は第2の性格になる」(Habit is the second nature.)という格言と
一緒だと思いますが、私たちの日々の暮らしの中で確認したいことです。
受験・進学など自分の人生の中で、これほど「思考=考え方」が、人生を変えてしまうことはありません。
この決定の方向が「性格」であり「運命」を決めてしまうものだと思うと、「どの大学に進学するのか」「どこで、何を学ぶのか」に慎重にならざるを得ませんね。
私たちは、「思考」が「運命」を決めてしまうことに、案外無頓着なんですね。
自転車に乗るように、無意識で、自然に、毎日やっている行動が、いつか運転のクセになり、習慣になっていく。
「これは私のやり方だ」という人に接触していると、
<考え方が技術という行動になって習慣>
になっているのではないかと思います。
どんなに楽しいことに出会っても「私は楽しめない性格だから・・・」と平気でいう人がいますね。
そういう人に限って、苦しんでいる。
もっと明るく生きたいというのです。
矛盾していますよね。
「思考」と「言葉」の影響力とは
日々の勉強でも、大人の仕事でも、同じことです。
受験勉強では
「まだ時間があるから・・・」
「この教科は苦手だから」
といって逃げているとドンドン時間がなくなったり、弱点がカバーできなかったりしますね。
職場では、
「ホウ・レン・ソウ(報告・連絡・相談)を大切にしなさい」
と助言すると
「丁寧にやるのが私の習慣だから」
「慎重にやるのが性格だから」
という言葉が返ってきて、動こうとしない人がいます。
「違うじゃないか」と思いますが、動かないからどうしようもないです。
そういう人は、志望校に合格できないし、ビジネスでは希望するポストが得られないですね。
これは「本人の思考(考え方)を変えない限り、絶対になおらない」ということですから、気をつけましょう。
では、こんなタイプの人が使う言葉で共通しているものを3つあげましょう。
それは、
「できない」
「やれない」
「わからない」
です。
簡単なことでもすぐにやろうとしない。
すべて受け身で拒否語・否定語が優先するのです。
「やってみたら!」と言っても、手・足を動かさないですね。
当然、勉強も仕事も溜まってしまい、ミスばかり多くなるのです。
そして「自分はダメだ!!」と投げやりになっちゃうんですね。
いつも不平・不満だらけで「惨め」です。
「できない理由」を聞いたところでしょうがないのだから、
「できる理由」を考えて工夫してみればいいのに・・・と思いますね。
こんな人は、根底に「考え方・思考」の問題があって、それを変えなければ、「言葉」も「行動」も変わってこないのです。
「ダメな理由」ばかり並びたてる人は魅力がないので、ヒトは去っていきます。
楽しくないですからね。
考え方が固定し「習慣」になってしまうのですね
考え方が変わらなければ、どこに行ってもダメですね。
私も近寄らないようにしています。(苦笑)
自信がない・劣等感が強いという人は「楽しくない」です。
「習慣」を変える方法
では「行動の習慣」を変えるにはどうしたらよいでしょうか。
私の経験から言えば、まず「些細なことを心配しないこと」です。
後ろ向きで心配性がよくないのです。
「どちらでもいいことは考えないこと」です。
自信は「繰り返し」と「工夫」で蓄積されてできるものだからです。
また「他人の顔色をうかがう」ことも止めた方がいいです。
自分がどのように見られているか。
どんな「評価」を受けているか。
これは他人様が決めることだからしょうがないです。
割り切ることで「過剰に心配することを止める」のです。
他人の顔色を窺っている人ほど、仕事にプライドと責任を持ちたがらないですね。
いつも他人に責任転嫁しようとする心理を働いている。
「どうせ私なんて・・・」は逃げ口です。
アンガ―で「見栄坊」で「突っ張り」である人をやめるといいですね。
そして「終わったことは気にしない」という習慣をつけるといいです。
いつまでも「終わったことに拘る」ことを止めるのです。
良かったこと、成功したことなら良いですが、悪かったこと、失敗したことにグチャグチャ長い時間をかけて言っているようではだめですね。
受験ではなおさらです。
どんなに立派なことでも、失敗・反省はつきものです。
過剰の反省は無駄なのです。
「性格」から「運命」へ
近頃気になっていることは、恐ろしいほど「自分」を中心に考えて行動する人が多いということです。
先方の都合とか、先方の立場とか、先方の意志とかに配慮しているようでいて、実は、「自分の都合を優先」させて、自分に合わさせる思考をしている人が多いです。
そうした人ほど、自分自身は「自分中心主義者」ではなく、他の人のことを思いやっていると信じているから、厄介です。(笑)
しかし自分が「運命」だと思ったことも、時々大逆転するものです。
多くのことは、「人生の単なる一段階にすぎない」ケースが多いからです。
だから、誰も運命を計ることはできないのです。
人生で「予定調和」なんていうものはないのです。
それは神さま・仏さまに任せておいて、私たちは明るく前向きに自分の「運命を創造」すればいいのです。
それ以上のことは考えなくていい。
後ろ向きに、暗く考える人は問題外。
彼らの得意技は「自己陶酔」なのです。
付き合っていられませんね。(笑)
運命に影響を与えるものがあるとしたら、それは「愛」でしょう。
自己愛ではなく、他者に対する「慈しみ」のような愛です。
実際に、他人のために、社会のために「何かやろう」とすれば、いろいろなことを考えさせてくれるし、多様な発想を生みだしてくれるからです。
愛は言葉になり、行動になる。そんな人を、私はたくさん観てきました。
他者を愛する習慣は、人間の性格を変えるし、やがてその人の運命を変えていく。
愛された記憶は、永遠に続く。
また、自分自身が弱った時の激励になります。
それが「創造的な愛」というものです。
さて、マザーテレサの言葉は、旧約聖書に根っこがあるといわれますが、素晴らしい言葉で
すね。
じっくり、自分の身に引き寄せて考えたいものです。
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