漢文を楽しもう 「春望」 杜甫

漢文を楽しもう 「春望」   杜甫

 

漢文の基礎的なものに、エッセー風のコメントを書くことにします。

 

春ですから、杜甫の「春望」から始めます。

 

これは中学の教科書にありますが、新中1生にも分かりやすいように、読み下し文をつけておきます。

 

春望    杜甫 作          

            くにやぶ     さんがあり

国破山河在   国破れて山河在り

                しろはる             そうもくふか

城春草木深   城春にして草木深し

                  とき  かん              はな     なみだ  そそ

感時花濺涙   時に感じては花にも涙を濺ぎ

                わか     うら            とり    こころ おどろ

恨別鳥驚心   別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

             ほうかさんげつ    つら

烽火連三月   烽火三月に連なり

             かしょばんきん     あた

家書抵萬金   家書萬金に抵る

            はくとう か               さら   みじか

白頭掻更短   白頭掻かけば更に短く

              す     しん   た                      ほっ

渾欲不勝簪   渾べて簪に勝えざらんと欲す

 

 

大切な家族との連絡

今、世界中が混乱している。

 

シリアはまさに国が滅んで、多くの人が故郷から離れて難民になって諸国をさまよっている。

 

むかし、私が旅先のシリアで知り合った人たちの行方もわからない。

 

杜甫が生きた時代も、内乱で大混乱だった。

「国が滅んで、放浪の旅」を余儀なくされた詩人の目に、春になって「草木の新芽が伸びた風景」は、さぞ眩しかっただろう。

逆境の身の辛さ・悲しさで、涙がにじみ出たのも無理はない。

 

私たちの日本だって、この危うさの中で漂っている。

 

携帯電話やLINEの時代になって、家族との連絡が途絶えることなど、想像できない人が多いだろう。

しかし、大地震が起こって連絡が途絶えたらどうするか。

私は3・11の時、慶応義塾大学の藤沢キャンパスにいた。

緊急避難の指示があって、みんなで大学の運動場に集まった。

何が起こったのか。

情報が入ってこない。

携帯電話もつながらない。

何時間も運動場で待った。

 

スタッフの一人がFACEBOOKを持っていたので、それで状況をつかんだ。

FACEBOOKを持っていない私の家族との連絡は取れない。

 

不安な一夜を明かした。

家族との連絡は「家書抵萬金」と同じだった。

 

杜甫は家族と離れ離れになり、手紙さえ届かなくなり、鳥が鳴く声に涙を流した。

これは、震災で3か月以上も連絡が取れなかった人に通ずるだろう。

 

人生の哀しみである。

 

「学ぶ」と「考える」を繋げることが「思考力」と「発想力」を伸ばす。

 

悲しさ・辛さで、髪の毛が少なくなったのは、杜甫ばかりではないだろう。

災害にあって、苦しんでいる人の嘆きと共通している。

 

このように全く関係がなさそうなことを、飛躍して繋げて考える能力が教育の中で求められている。

「学ぶ」と「考える」を繋げるのである。

思考力とか発想力とは、こうした能力を指す。

 

漢詩の勉強をするにあたって、時代背景を知ることは重要なことである。

唐の全盛期が終わり、唐末期になると「安史の乱」(755~763年)などで大混乱だった。

優秀なリーダーだった玄宗皇帝も晩年は楊貴妃との愛に溺れ、政治を顧みなくなった。

国家は乱れ、権力のない人々は路頭に迷った。

下級官吏だった杜甫もその中の一人だった。

 

これは、唐時代のことばかりではない。

自分の権力と利益を追求するあまり、多くの矛盾を醸し出している昨今の日本の政治・経済・社会を思えれば、杜甫の春望を「戒めの詩」として受け止めなければならない。

 

この詩の形式は「五言律詩」である。

律詩とは、八句(八行)からなる詩の形で、一句が五文字からなるものを五言律詩、一句が七文字からなるものを七言律詩という。

「春望」は余分な表現を取り除いた五言律詩の典型であるが、こうしたことは学校の授業で学べばよい。

 

 

漢文の授業とデジタル端末

これからは「デジタル端末で授業を行う」時代である。

 

春望は「韻」を踏んだ詩だから、「オト」で学ぶことも勧めたい。

中国の山河を背景においたら、もっと楽しく「オトとイロで漢文を学ぶ」ことができるだろう。

 

むかし私は、中国の俳優に「蘇東坡の西湖の風景を詠んだ詩」を朗読してもらったことがある。

これが実に素晴らしかった。

詩の持つ雰囲気がまるで違うのだ。

近いうちに、こうしたことが当たり前に実現する授業になるだろう。

 

「春望」は、辛い・悲しい・厳しい詩である。

 

初老になった男の心情を、春の風景と対比して詠ったものだから、中学生には理解不可能だろう。

が、いろいろな角度から、この名詩を学ぶ価値がある。

 

指導者は画一的に学習内容をとらえず、幅広い視野で工夫し、捉えるべきことだと提案したい。

しかし、現実は漢詩を教えることができる教師が不足している。

 

中学も高校も、私立も公立も同じである。

ICTの進歩は教育環境を変えるだろう

 

春である。

期待と希望をのせて、全てに飛躍する春である。

桜は,冬の間にためていたエネルギーを、枝先に集めて一挙に花を咲かせる。

 

いろいろな「春望」がある。