ユトリロの「シロ」、シャガールの「夢」、ムンク「叫び」

受験を前にして、怖気づいている人はいませんか?

 

不安を乗り越える力は、自分の内面にあるのです。

 

それを絵画で示した3人の画家を紹介します。

孤独や悩みと苦闘して、人間は少しずつ「強く」なっていくのです。

 

11月

 

今は「自力を信じる時」です。

伸びる人は自力を信じる人です。

逃げてはいけません。

楽しく、逞しく行きましょう!

 

 

怯えて立ち尽くす必要はない

私は、ユトリロの風景画の「シロ」が好きです。

ひとりで、雪の中を歩いている時のような、静寂さが好きなのです。

 

パリの旧市街の街かどを歩いていると、どこにも見られる「当たり前の風景」だけれど、ユトリロの手で描かれたシロの世界は、まるで別の世界を感じるのです。

心の底に「沈むもの」を描いているからでしょう。

 

ユトリロの「シロの風景」が好きだという人が多いですが、疲れた時や、悩んだ時の癒しになるからでしょう。

静かな気持ちで「大きめの画集」をみるといいですね。

 

もちろん、ユトリロにも豊かな色彩で描いた絵画もありますから比較してみるのもいいです。

絵画は、描く人と、鑑賞する人の「交流の中で共有」するものですから、鑑賞する側の姿勢が大切です。

受験勉強中に絵画が好きになったという人が沢山います。

当然ですね。

 

ユトリロ・ムンク・シャガールの絵画をみていると、画家の不安・孤独・悩み・恐怖が、作品に「昇華」していることがわかります。

 

画家が生きた時代・背景・家庭環境がそれぞれ異なっても、「自分という人間の存在」に不安を抱えていたり、怯えや焦り・悶えがあったりしていると、表現のどこかに「揺らぎ」がでるのですね。

揺らぎが「作品の強み」になって、完成度の高さに繋がっているのでしょう。

 

「弱み」を昇華して「強み」にする。

 

人間の一生にはそんなことが、度々あるものです。

受験も同じです。

おびえて、立ち尽くす必要はないのです。

 

1883年フランスに生まれたユトリロは、幼いころから精神の病を患っていたようです。

 

飲酒治療の一環に与えられた絵具の先につけたものが「シロ」。

 

その筆先でパリの風景が描かれたのであって、彼が描くパリの小路・教会・運河などは、ありふれた風景ですが、不思議な詩情が漂っていますね。

 

これは、ユトリロが、彼の内面にあるものを表出しているからでしょう。

ゴッホのように、人生と格闘した作家ではありませんが、描く対象の奥に、深い哀しみ・苦痛・不安・動揺に繋がっているのですね。

 

ユトリロの世界には「躍動する人間」は、ひとりも描かれていないのです。

 

 

シャガールの作品から受け取るもの

私が好きな画家の一人にシャガールがいます。

 

シャガールは帝政ロシアの片田舎のユダヤ人街で生まれました。

1887年のことです。

 

彼の絵画をみていると、いつも、どこかに飛んでいきそうな「夢」「憧れ」を感じますね。

なぜ、そんなモチーフの絵を沢山描いたのでしょうか。

 

彼の初期の作品を見ると、ロシアの寒く・暗い閉ざされた世界で暮らす人々の姿・建物・風景と、人々の暮らしが画材になっていることがわかります。

 

シャガールは、この「閉ざされた世界の住民」だったのです。

 

「何とかして、外の世界に飛び出したい!」と、若いシャガールは、何度も心の中で叫んだことでしょう。

 

彼の手による「幻想的な色づかい」も、「愛」や「結婚」というテーマも、背景にあるものは、屈折したユダヤ人の世界と日常の風景。

憂鬱・不満・悶えではなかったかと思います。

 

恵まれた世界で生活した人は、決してこのような作品を残すことはないです。

 

シャガールの作品から受けとるものは「幻想的な夢」ではなく「願望」「渇望」と「昇華」であると私は思っています。

 

 

ムンクの作品に込められた「叫び」と「快楽」

ムンクの「叫び」という作品を知らない人はいないでしょう。

 

1863年にノルウェーで医者の家に生まれたのだから、恵まれた人生のはずですが、彼は、早くに母親や実姉を失い、病気や死に直面せざるをえなかったようですね。

 

だから、人間の根幹に繋がる愛・孤独・嫉妬・不安を見つめ、人物画として表現したのだと思います。

 

ムンクは、フィヨルドを歩いている時に「自然を貫く、けたたましい、終りのない叫びを聞いた」ので、それを絵画的に表現したのだといっていますね。

 

自分の個人的体験を芸術的表現に昇華させて、孤独や不安と重ね合わせたところに、凄さがあると思います。

 

ムンクは、かなりの遊び人だったと伝えられていますから、「悲壮感ばかりが彼の人生だった」とは思わないです。

 

「叫び」と「快楽」

 

人間は、どこかで帳尻を合わせて生きているのだと言うことでしょうね。

若い人には、少し難しいかな?

いやいや、そのうちにわかることでしょう。

 

受験の苦しみの「叫び」が、「合格の快楽」に還元されるように・・・。

 

人間の喜・怒・哀・楽を、すべて言語化することはできません。

 

「言葉は記号に1つにすぎない」のですから、絵画もまた記号の1つです。

 

私たちが内面に抱える悩み・焦り・不安を、時には風景を通して、時には現実にありえないようなものを通して、また時には人物を通して表現するのです。

 

レオナルド・ダ・ビンチの「大洪水」の絵は、言語化できない「神の意志」を絵画表現したものだという説もあります。

 

大洪水が、人類の滅亡を予言しているという人さえいますからね。

 

絵画は、他者の内面生活を知る手掛かりにもなり、翻って自分自身を見つめるきっかけにもなります。

絵画の面白さは、こんなところにもあります。

 

「思考力」とか「表現力」とかが議論されますが、こうした「側面からの学び」も忘れてはいけません。

 

さあ!大洪水が起こる前のノアのように、しっかりと「方舟」を用意しましょう。

 

自分を追い込んで強くなるのです。