東南アジアと中国の「隠れテーマ」は何なの?
スペインのことを書いたら、あちらこちらから、質問が飛んできた。
入試では、漠然とした根拠のない出題をすることはない。
その意味では、アジア・中国の隠れテーマの一つは「覇権」だろう。
なぜ覇権と永楽帝がつながるのか?
背景に「中国ファースト」という中華思想があるからである。
え!・え??何のこと?
「覇権」「永楽帝」がなぜ出題されるのか?
尖閣諸島・南シナ海に中国が進出し、ここに人工島まで作ると聞く。
日本をはじめとする国際的な非難なんて相手にしない。
実効支配である。
先日は、とうとう軍事基地をつくると言い出した。
さてどうなるか。
この政治的な問題は、そのまま入試に出題されない。
判断基準に異論が出て、いろいろな見解が混乱するからである。
すると「隠れテーマ」が生まれる。
それが「永楽帝」「覇権」である。
なぜか?
永楽帝は首都を北京と定め、紫禁城を完成させたばかりでなく、李氏朝鮮などを屈服させ、日本に対しては足利義満に朝貢貿易を促した。
7度にわたり、東南アジア・ペルシャ湾・インドに「鄭和」を派遣し、南アフリカ東岸まで遠征させ、30か国以上に朝貢させ、明朝の威信を示したからである。
典型的な「覇権」の誇示をする遠征である。
関連して明の永楽帝朝に激しく抵抗した「ベトナム」などもチェックすること。
この朝貢遠征で行った先を「領土」だと主張するのは無理であるが、中国は、これを南シナ海などの進出の根拠としている。
つまり鄭和の遠征を、領土問題の根拠にして「覇権」を主張しているのであるが、こうした知識と問題点を私たちはしっかり勉強することである。
中華思想とは!?
鄭和の船団は巨大なもので、8000トンクラスで60隻、2万余名の乗組員だったという。
この遠征でインドのカリカット、アフリカの東海岸のマリンディまで到達し、キリン・ライオンなどの珍獣をもたらしたという。
この遠征を、喜望峰に到達したヴァスコ・ダ・ガマの4隻、乗組員160人、コロンブスの船団の3隻・120人と比較してみるといい。
スケールの大きさがわかるだろう。
現在に置き換えると「空母」と同じだろう。
永楽帝の遠征イメージは現代に通じる。
入試では当然「裏テーマ」になる。
鄭和自身は「宦官」で「イスラム教徒=イスラム世界を航海できるカードを持つ」だったから、この遠征が可能だったのだが、この部分だけでも出題されやすい。
朝貢貿易と領土ということは異なるが、こうしたことも思考力・判断力の根拠になる。
永楽帝は「永楽大典」を編集するなど、後世に影響を残す事業を実施した。
また5度もモンゴルに遠征するなど、典型的な覇権皇帝だった。
彼の遠征の理論武装の根底に、中国伝統の「中華思想」があることも知っていたい。
中華思想とは
<中国が世界の文化・政治の中心であり、他に優越しているという考え>である。
「中国ファースト」である。
覇権を正と負の両方で捉えよ
覇権・征服を徹底し勢力を拡大したのは、明朝の前のモンゴル帝国・元である。
モンゴル族のジンギス・ハーンは、武力による支配を優先した。
「武力」による支配は覇権の基本である。
自国第一主義は「武力=軍事力」による支配を指すもので、腕力で相手をねじ伏せる。
これはいつの時代でも変わらない。
ところで大帝国を形成した「漢」も「唐」も、周辺の民族・部族との争いを繰り返したが、グローバル社会における「覇権」とは異なる。
国際都市の長安の繁栄は覇権の成果として実現したものではない。
日本からも多くの留学生が入唐し、日本の政治・文化に計り知れない影響を及ぼしたが、入試で使う「覇権による支配」というカテゴリーで捉えることには無理がある。
また覇権問題は、「強者の観点」だけで捉えてはならない。
支配され、従属させられた国や民族、すなわち「弱者の観点」から考えることも忘れてはならない。
明の強権支配に抵抗したベトナム、元の襲来を撃退した日本のように、覇権に対抗した国々の歴史の観点を忘れてはならない。
中国も清朝末期はイギリス・フランス・ドイツ・ロシア・日本の覇権争いのために民衆が多大な被害を受けた。
「覇権」を<正・負>の両眼で捉えることを忘れてはならない。
「歴史を見る眼」がなければ、どんなに沢山のことを覚えても、入試が終わった途端に忘れてしまう。
私が隠れテーマと呼んでいるものは、歴史を見る眼を持つことの大切さを指している。
これが「思考力」や「判断力」に通じる。
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