大学入試センター試験が終わった。
2020年の「共通テスト」に向けて、試される「学力の質」が変わってきた。
国公立大学だけでなく、私立大学の入試学力の内容が確実に変わるだろう。
現在の中学3年生は勿論のこと、来年度の受験者は留意しなくてはいけない。
今回の入試センター試験から、「変化」を拾ってみよう。
文系の生徒に不利だった数学
まず数学である。
特に、今回の得点差がついたのは数学ⅡBである。
平均点は、
数学ⅠAが61.91/100
数学ⅡBが51.07/100 (2/1入試センター発表)
だから、平均点10点の差はとんでもないことを示唆する。
特に、この内容は、「高校の学習内容・レベル」と深くかかわるので深刻である。
詳細を見てみよう。問1で「ラジアンの定義」が出題された。
教科書でいえば、欄外で<定義・公理・公式>で触れている程度のものである。
これは、普通の公立高校での授業では扱わないはずである。
「覚えておきなさい」という程度のものであるから、戸惑った生徒が多い。
「この定義はどのような論理で成立しているか」
それを一度でも学習した生徒は簡単に解けたはずである。
しかし、定義・公理などは、「覚えていれば便利であり、活用することだけ考えればよい」という学習では、このような出題に対応できない。
特に普通の公立高校で学習していない。
文系の生徒は絶対的に不利である。
この結果で、出願校を変更しなくてはならない生徒は可哀想である。
これは「思考力」をテストするのが目的をした出題であるから、普通のレベルの高校の授業では学習していない。
といっても、数年前から東大をはじめ難関大学の2次試験では「定義の論理を筋道に沿って解答させる出題」が多くなっていたので、進学校の中には対応していた学校があったはずである。
注目したいことは、それがついに入試センターテストにまで出題されたということである。
学校の先生たちが、これを認識しているかどうか。
指導法を変更・工夫する必要があることを理解しているかどうか。
文科省の思考力を問う出題への要請が、具体的に反映された出題だと考えた方が分かり易い。
「ラジアンの定義」は、多くの中高一貫校の理系で3年・2学期までに「総復習のテーマ」として学習している内容だから、この定義を勉強した経験がある生徒は困らなかった。
つまり、学校や塾で「定義の原則を学習」していた経験のある生徒に有利だった。
ここで得点の差がついた。
文系の生徒に不利だったことは当然である。
また、大問2の微積分では、設問文が長いうえに、計算スペースが狭かった。
だから「素早く計算できる能力」が要求された。
普段から計算力をつけていた生徒は対応できたが、計算力が弱い生徒は「時間不足」でやりきれなかった。
計算力など「基礎学力」を大切にしなければならないという典型である。
国語は、出題者の意図を読み解くこと
次に国語である。
平均点は
104.68/200で、昨年より落ちている。
問1の評論文は、問3に、空間補充問題が出題されて、新しい傾向がみられた。
ここでも、「共通テスト」への橋渡し出題がみられた。
また、課題文の分量が多くなる傾向なので、基本的な学習として、普段から、しっかりした文章に読みなれておく必要がある。
女性週刊誌レベルの文章(中学2年生程度)ばかりに触れている生徒は混乱してしまっただろう。
問2の物語文は、50歳~60歳代の夫を亡くした女性の心理をテーマにしている。
予備校の分析では「平易な文章であり理解されやすい」というが、私は「18歳の少年・少女にわかるはずがない課題文」だと思っている。
35年前に息子を失った女性が、最近亡くなった夫との新婚時代のことを思い出す課題文だから、サラリとみただけで「なんというテーマの出題か!」と疑問に思うのが自然である。
マスコミは地理の「ムーミン」で騒いでいたが、このテーマの方がはるかに問題である。
おまけに、「自転車の2人乗り」が書かれている。
多くの学校で禁止のはずである。
警察も無視していいはずがない。
出題者の無神経さにあきれるが、仕方ない。
文句を言うのは別の場所として、テスト問題に対応するしかない。
こうした時は、テーマや内容ではなく「出題者の意図」を読み解くことがポイントである。
きわめて表層的で、本来の国語教育とはいいがたいが、テストは得点できなければならないのだから、対応するしかない。
こうした時は“受験テクニック”で解くのである。
つまり「設問から入って課題文を読み解く方法」を使うのである。
表層的で好きでないが仕方ない。
より具体的に言うと「選択肢を句読点で分割する」のである。
その他いくつかのテクニックがあるが、LEADEST の講師たちは、こうした受験テクニックをマスターしているから直接指導してもらうといい。
結論は、たくさん演習して体得するしかないのだから、徹底的に勉強することを勧めたい。
これは、私立大学でも同じである。
古文は本居宣長が出題されたが、昨年の漢文が新井白石だったことをあわせてみると、「日本文化の再確認」がこの分野の「隠れテーマ」になっている気もする。
学校教育の中で、古文・漢文の指導者不足が指摘されていることも合わせて、国語指導の在り方を根本から考える時が来ているということだろう。
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