誰にもプライドがある。
誇りを汚されたり、自尊心を傷つけられたりすると怒る。
といっても、時には力に屈する時があれば、激しく対抗する時もある。
人間のレベルは、このプライド・誇り・自負心が、どこにあるかで決まる。
時には妥協も必要である。妥協がプライドの時もある。
しかし、ギリギリ譲れないところに来た時、自分はどんな行動をとるか。
受験という大きな「壁」を前にして選択する行動も人間性を現わす指標だ。
芸術家ベートーベンと権力者ナポレオン
芸術家ベートーベンは、権力者ナポレオン1世の前で演奏を強いられた。
その時、彼は気持ちよく演奏したか、しぶしぶ演奏したか。
それとも・・・。
その真実は誰も知らない。
しかし、このエピソードは、権力者と芸術家の矜持を示していて興味深い。
1990年の夏。
私はベルリンのブランデンブルクの凱旋門の前に立った。
その数年前の1989年12月に東西冷戦が終わり、ブランデンブルク凱旋門の通行が可能になっていた。
「ベルリンの壁」の残骸があちらこちらに散見する場所で、時代を遡って「ベートーベンとナポレオンという稀代の英雄の出会い」を頭の中に描いていた。
ナポレオン1世が、このブランデンブルクの凱旋門を通ってベルリンに入ったのは1806年のことだった。
ここで、有名な「ベルリン封鎖令」を出す。
ベルリンはフランス占領下におかれ、ドイツ(プロイセン)は屈辱的な条約を飲まされる。
その追いつめられた事態にあって、フンボルトは立ち上がり、大胆な教育改革を行う。
1810年ベルリン大学が創設され、初代学長になった哲学者フィヒテは、打ちひしがれた占領下の国民に向かって『ドイツ国民に告ぐ』という祖国愛に満ちた連続講演を行い、自信を失った人々を鼓舞した。
誇りに満ちた毅然とした学者の行動は、ドイツ国民を奮い立たせた。
このドイツの学制は、日本の教育モデルになった。
祖国愛と教育。
私たちが忘れてはならない原点である。
誇り高き音楽家の伝説
ドイツ(プロイセン)に入ったナポレオン1世は、有名なピアニストであるベートーベンを呼んで、御前演奏をさせようとした。
他国を征服した権力者が、有名な音楽家を呼びつけてピアノ演奏をさせるというのである。
この時、ベートーベンはどうしたか。
誇り高い音楽家は断固として断る。
2回・3回と使いの者が来るが、彼はいかない。
プライドが許さないのである。
どうしても行かない。
さすが、3回目を断ったところで生命の危険を感じた。
そこで、ベートーベンは姿を消してしまったという。
このエピソードが真実かどうかわからない。
伝記作家の創作かもしれない。
しかし、気骨あふれるベートーベンらしい話ではないか。
凛としている。
フランス革命の「自由・平等・博愛」の精神を体現した英雄として、ベートーベンはナポレオン1世を賛美していた。
彼の交響曲第3番「エロイカ」は、ナポレオンに捧げる予定だったという。
聴いたことがある人が多いだろう。
しかし、ナポレオンが「皇帝になった」と聞いて激怒し、楽譜の表紙を破り捨ててしまったという。
このエピソードも有名であるが、これも真実かどうかわからない。
交響曲第9番にあるように、人間を賛美し、精神の高潔さと、自由を愛した芸術家が、権力に屈せず、プライド・誇り・矜持を示す話として心に響く。
文豪ゲーテはプロイセンの貴族である。
ある時、ゲーテとベートーベンが2人で小道を歩いていた。
そこへ前方からプロイセン国王が歩いてきた。
ゲーテは敬礼して道を譲った。
しかしベートーベンは平然とすれ違ったというエピソードもある。
これも事実かどうかわからない。
が、これらの話は、政治家・音楽家・作家の資質と立場を現わすものとして、いろいろなことを考えさせてくれる。
人間としてのプライド
最近のプライドをなくした政治家・実業家・学者・各界の指導者・市井の人の「事件」がマスコミをにぎわしている。
改めて襟を正さなくてはならない。
あまりにもプライド・誇りを意識しない言動が目立ちすぎる。
偉大な人物の歴史から、自分の生き方を学ぶ。
こうして学びの場を広げることは、人生を豊かにする。
好奇心を燃やし、広い世界から、現在を知ることは、自分自身のためにも大切なことである。
私たちの世界は、未知なことにあふれていて楽しい。
いま世界が揺れている。日本が揺れている。
このような時に、人間としての誇り、民族としての誇り、自分自身の誇りがすべての原点になる。
私たちが立ち上がらなくてはならないことは、そこからであって、その場を切り抜ける処世術をマスターすることではない。
私たちが学習する意義はここにある。
だから、人間としてのプライドを大切にしよう。
全ての出発点がある。
コメントをお書きください