羽生結弦選手がすごい。
なぜすごいのか。
彼の何に引き付けられるのか。
10万人以上の人が仙台に集まって、凱旋パレードに酔う。
残ったゴミは6袋程度だったという。
こんな現象はなぜ起きるのか。
羽生選手の魅力は「独特のこだわり」にある。
「こだわり」の向こうに、いま私たちが失いつつある大切なものが見えてくる
今回は、そんなことを考えてみよう。
1 プレー技術の進化への「こだわり」は<BestよりBetter>
「次は4回転半をやりたい!」
「その次は5回転を目指します」。
羽生選手のコメントを聞いていると、実際にやってしまうのではないかと思ってしまう。
フィギア競技の可能性をドンドン広げていく姿勢は、誰がいつ聞いても楽しくなってしまう。
「これが完成形だ」ということがないから、夢が広がる。
<BestよりBetter>という一歩ずつの選択である。
オリンピック寸前の怪我にしても、技術の進歩を追求するあまりの出来事だったから、沢山の人が心配したし、回復を祈願した。
オリンピックでは「戦い方を変えた」が進歩を止めたわけではない。
入試学力は「技術」の進歩であって学問ではない。
入試の問題で「新作」は、ほとんどない。
なぜなら、オリジナルの作問は、独創性の追求だから簡単にできないからだ。
そこで「過去問」「類似問」を学習することが、「いわゆる勉強をする」ということになる。
同じテーマを角度を変え、様式を変えて出題しているに過ぎないところが多い。
羽生選手の「こだわり」は<BestよりBetter>にある。
平昌オリンピックも、Bestの技ではなく、完成度の高いBetterの技で勝負して勝った。
進化を押さえるべき時があることを知っている。
2 自分の競技スタイルへの「こだわり」は<Identity>
「自分はこういう演技をしたい」
「スケートで自分を表現したい」
この意志が競技者のアイデンティティである。
羽生選手が、どんな家庭・地域・指導者の下で育ったのか。
それを言葉で言わなくても、リンク上で表現するものは、その全てを結集したidentityである。
どんな曲を選択するか、どんな振り付けで、どんな衣装を選択し、どのレベルで表現するか。
羽生選手は「妥協するところと妥協しないところ」がハッキリしているという。
だからコーチと対立することがあると聞くが、それは重要なことである。
受験生のアイデンティティは受験を通して次第に明確になっていく。
「自分はどんな大学で、何を専攻し、勉強をしたいか」
志望校⇒出願校⇒進学校と進めるうちに、自分のアイデンティティを自覚していく。
「合格した大学が志望校だ」ということはidentityに一番遠い。
これを見失った進路選択は、後悔するだけである。
このこだわりが
「私はいかに生きるか」
「いかに生きたか」につながっていく。
羽生選手の競技スタイルは「生き方のスタイル」である。
彼は、自分のidentityにそった選手であり続けるだろう。
金メダルが方向性を決めていく。
3 共有優先へのこだわり<together with friends>
「一人じゃない!」
「みんなに支えられながら戦ってるんだ」
これが、羽生選手と他の選手と決定的な違いである。
リンクにあがる競技者のエネルギー源である。
震災という強烈な「負の体験」をパワーに「昇華」させているから崩れない。
<together with friends>の姿勢が、仙台の凱旋パレードの熱狂を引き出している。
羽生選手のお祖父さんが平昌オリンピックで「倒れそうになった孫を支えてくれたのはみなさんの力だった」と語ったそうであるが、素晴らしい祖父と孫である。
受験でも同じことが言える。
一人だけで戦っている意識が強い受験生は土壇場で立ち往生することが多い。
学校で、塾で、家庭で、「仲間」と共に大きな壁に立ち向かっている受験生は崩れない。
私は「受験は団体戦で戦え!」という。
<together with friends>である。
支え合う人がいる受験生は強い。
フィギアスケートだけでなく、受験でも、人生でも「playするのは一人」である。
しかし、人間は一人だけで生きていくことができない。
共感と愛を知っている人が輝く。
4 勝負へのこだわり <Stick to win>&< Enjoy the Play>
「試合は勝たなくちゃダメだ!」
「負けるのは嫌だ!」
「上達したい!」
羽生選手は、勝ちにこだわる。
妥協しない向上心を持つ。
怪我をしている時もイメージトレーニング・解剖学などを勉強していたという。
勝つための努力をするが、弱点を嘆かない。
時間を無駄にしない。
勝利者が輝くことを知っているからである。
輝くために努力する。
負けるのが大っ嫌いだから、二番じゃダメなのだ。
ライバルが出現したら、必ずその上を行こうとする。
絶対王者の自負心である。
グランプリシリーズ中国杯での怪我。
今回の怪我。
怪我を超えて勝負にこだわる。
「競技を楽しむ」というけれど、勝ってから楽しめばよいという姿勢だ。
楽しむは緊張をやわらげる方便にすぎないことを知っている。
彼は試合を楽しむとは言わない。
ストイックなスケートの求道者である。
羽生選手は、試合で得た報奨金を寄付してしまう。
震災の体験が寄付行為に繋がっているのだろう。
まさに日本男児の潔さがある。
「絶対に勝ってやる」は「絶対に合格する」ということに通じる。
レベルが高い志望校であればあるほど、乗り越えるべき「壁」は厚く高い。
大切なものは「挑戦する心」である。
Stick to win がなければ、勝利者にも合格者にもなれない。
安易なEnjoy the Play とは全く違う。
5 美しさへのこだわり <Beautiful it is>
フィギアスケートの「芸術性」へのこだわりに、羽生選手は人一倍強い。
得点を競う競技だから、ジャンプの数や質が目立つが、演技構成点で評価される「芸術性」は、文化・教養・知性・民族の伝統から醸し出されるものだから、借り物では通用しない。
実際に、ジャンプという「技術」に拘るあまり、競技のトータルバランスを見失う危険性が指摘されている。
が、羽生選手は一貫して芸術性にこだわり、狂言師の野村萬斎さんの指導を受けたりしてきた。
平昌オリンピックの羽生選手の「ショパン・バラード第1番」も「SEIMEI」も、高い芸術性を追及して獲得した結果である。
<More beautiful >
美しさの追求に限度はない。
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