高校野球はファウル(違反)を認めない。
汚いプレーはご法度で、非難される。
サッカーは、意識的にファウルしても、悪質でなければプレーが認められる。
あなたは、どちら派ですか?
講道館柔道は、長い間、「きれいに1本」が基準だった。
術でなく道だから。
オリンピック柔道は、ポイントを多く取った選手が勝つ。
学校教育の体育の先生たちは、この異なる価値観の間で指導法に揺れている。
「強ければ良い」の世界に「倫理観」をいれるのは間違いだ。
じゃ、スポーツマンシップってなんだ?
高校野球の原点
学生野球の父・飛田穂洲氏の「一球入魂」を根っこに持つ甲子園野球は若者たちの人間教育の目指すものだから、選手の不祥事を絶対認めない。
暴力も喫煙も・・・連帯責任である。
つねに堂々と.清々しく行動し、乱れない。
この言動一致が、高校野球に生きている。
だから、昭和天皇が、戦後の混乱期の非行防止に「高校野球の復活」を願い、飛田さんに「声をかけた」というエピソードも嘘ではないだろう。
朝日新聞社がそれをバックアップした。
飛田さんの母校水戸一高校で、私は進路講演をやったことがある。
豪壮な水戸城の中にある伝統校の生徒は、あの大地震が起こった時、自主的に集まり、自分たちの役割を決め、きびきびと行動したと聞く。
飛田さんが野球を通して実現しようとしたことが、後輩たちに、現在も受け継がれている。
素晴らしい。
サッカーは「ぶれない強さとの闘い」
近年のサッカーでは、「戦術的に必要ならば試合中にファウルをしても良い」という流れである。
だから、ユニホームを引っ張る、足を引っかける、押し倒す、蹴飛ばすなどのプレーが頻繁にみられる。
W杯でブラジル・ネイマール選手が演じた大げさな痛がりは批判を浴びたが、シュミレーションプレーを含めて紳士のスポーツとは言えない。
特にブラジル・アルゼンチンなど中南米の選手がスターになると、これをマネするプレイヤーが増えて、試合が汚くなった。上手・下手より、プレーの粗雑さが目に余る。
おまけにイラン・イラクなど中東の選手の遅延行為・大げさな狡さに辟易しているのは、私だけではあるまい。
しかしそんなプレーに出会っても「ぶれない強さとの闘い」をマスターしなくては勝てないのが現実である。
芯の強さを鍛えなくてはいけない。
チャンスは挑戦するものだけに訪れる
東京オリンピックが近づいた。なぜ、七月に開催されるのか。気候の良い秋に実施できないのか。
真夏の太陽の下で行うスポーツ大会は、「選手ファースト」ではない。
では何がファーストなのか。
アメリカのCMだという。
これも、フェアプレーではない。
企業の利益優先ではないか。
ロシアの国家がらみのドーピングと合わせて、こうした矛盾の中で、試合が組まれ、華やかに実施されて行く。
甘さを切り捨てるしかない・・・。
だから、余計に甲子園野球への人気が高まるのだろう。
高校生が「純粋に野球に取り組む姿勢」に共感を呼んでいるからである。
「アマチュア教育とプロの違いだ」といってしまえば簡単であるが、私たち日本人のアイデンティティに通じるものがあるからだ。
「清く、正しく、堂々と」は生きている。
派手なガッツポーズに注意する理由も、こうしたことの上にある。
だから、福山雅治の「甲子園」(NHK高校野球テーマソング)が評判を呼んでいる。
歌詞の一節に「掴みたいんだ。今日も挑戦者として戦う。チャンスは、挑戦するものだけに訪れるんだ」とあるが、受験に置き換えると明確である。
「合格できるなら何をやっても良い」という理屈は許されない。
ましてや、カンニング・スマホなどを利用した不正・替え玉受験は許されない。
私たちも、正々堂々と受験の準備をして清々しく合格していこう。
甲子園球児たちのように挑戦者として・・・。
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サッカー少年 (木曜日, 23 8月 2018 09:05)
競技が違えばルールが違うのも当然です。野球に比べて接触プレーが多い為、ファウルが多いことは仕方がありません。むしろ選手達はそれを知った上でピッチ上で戦っているのです。ネイマールもチームのためにシュミレーション行為を行っているのであって、消して個人的な思惑でわざところんでいるのではありません。彼はチームのため、国のために戦っているのです。そんなことを言うなら薬物や女性にてを出す野球選手の方がスキャンダルが多いのではないですか?それでも胸を張って紳士のスポーツだと言えますか?
サッカーを悪いように言うあなた方の方がどうかと思います。
安達昌二 (木曜日, 23 8月 2018 12:27)
私はサッカー大好き人間です。
どうぞ、他の私のブログもお読みくだされば幸いです。